個人活動家:釘宮 順子





「妻でもなく、母でもなく、個人として、自分の可能性を追求して30年以上。」

1986年、自宅を開放し人の集まる場をつくり始めた釘宮 順子(くぎみや じゅんこ)さん。
同時にミニコミ誌「この指とまれ」を創刊し、30年以上毎月欠かさず発行している。
2000年にフリースペースKとして活動を開始し、今なお人の集まる場づくり、学ぶ場づくりを行う釘宮さんにお話を伺ってきました。

釘宮 順子(くぎみや じゅんこ)

フリースペースK代表、豊田市ボランティア連絡協議会会長

大分県出身


HP⇒https://yaigaya.jimdo.com/
「新しいフリースペースK」で検索してください。

豊田市は県外から来てもいろいろなことができる。

■猿渡
釘宮さんって今どんな活動をされていますか? 釘宮さんは何者だっていうところからお伺いできたらなと。

□釘宮
一番目はフリースペースKの代表ですね。
それから崇化館交流館の自主グループをやっていて、あとは豊田市のボランティア連絡協議会の会長を11年くらい。
以前は市民活動センターの「つなぎすと」をしていたんですが、それを卒業して「温志遊善」というグループを結成して、市民活動のコーディネーターをはじめたり。
「下町っていいね」っていうグループや「『つぶやきを形に』有言実行本舗」で「哲学カフェ」をしたり、終末期医療の映画界をきかっけにできた「ゆずりはの会」に参加してたり、おいでんやよさこいを踊ったり……ほかにもなんかいろいろ(笑)

■猿渡
すごいですね(笑)
本当にいろいろされているので、こういうところにも関わっているというのが分かると、「ここでも会えるんだ」って気づけるかなと思って。

□釘宮
そうですね。

■猿渡
改めて、釘宮さんってご出身って大分県でしたよね?

□釘宮
そう。大分県の大分市。

■猿渡
どういうきっかけで豊田市に来られたんですか。

□釘宮
結婚を契機に。夫も大分出身だけれど、豊田の会社に勤めていたので、たまたま見合いで。

■猿渡
いつぐらいまで大分にいらっしゃったんですか。

□釘宮
大分は高校まで。大学は京都なので、18歳ぐらいまで。

■猿渡
そのまま京都に?

□釘宮
いえ、ちょっと大分に帰ってちょっと就職して、それから結婚して。

■猿渡
結婚、お見合いをきっかけに豊田に。

□釘宮
そうです(笑)

■猿渡
でも結婚を機に豊田に来るって方多いですよね。私もそうなんですけど(笑)

□釘宮
多いですよね。私のころは本当そうね、7割方が豊田以外から来た人で。結構遠くからの人多いよね。猿渡さんも四国でしょう? 私みたいに九州も多いしね。そんな感じですね。

個人としてやれることに挑戦したかった。

■猿渡
豊田に来たときは自分で何かをしようとか仕事をしようとかっていうことって考えてましたか?

□釘宮
もちろん。
だけど夫が「家事もできないのに何が仕事だ」とか、「俺より先に、帰ってきたときにちゃんと家にいてよ」と。
誰かに聞いたみたいで。本当はそういうタイプじゃないんだけどね(笑)
そうやって言っていたので、はいはいって言いながらちょろちょろといろんなことをやって。
ちょっと転勤で東京に行った時期もあり、そこでいろんな女性学を学んだり、そのころミニコミが全盛だったりとかでいろいろ情報仕入れて、豊田でどうやって動こうかなって考えながら。
何か仕事に就きたいっていうよりも、自分でやりたいなっていうのがもともとあったので。

■猿渡
自分でやりたいっていうのは、女性のための……女性や子どもに対してのサポートがしたいって思っていたのか、まったく違う形で何かやりたいなって思っていたのか、どっちですか。

□釘宮
あんまり子育てで何かっていうことは、むしろまさかこんなに長く関わるとは。
子供は別に得意でもないので。

■猿渡
意外です(笑)

□釘宮:結婚も全然、うん、まあ一応実験ぐらい(笑)

■猿渡
(笑)

□釘宮
子育ても実験。フリースペースKも実験。まったく知らない土地でゼロからやったらどうなるかっていう実験ですね。
だから最初のキャッチフレーズが「地縁もなく血縁もなく才能もない主婦が何かをする時」っていうのがキャッチフレーズなんですよ。
だからゼロからやる。なんにも知らないところからやるとどうなるかなっていう実験ですよね。それくらいの感じ。だからゼロからやるとどうなるかっていうのが私は面白く感じます。

■猿渡
燃えるんですね。

□釘宮
1回きりの人生だから、その年齢でとどまるわけじゃないんですよね。子供はどんどん成長するし私達も年を重ねていく。その年相応のいろんなことがあるから。
私は欲張りなので、家事は苦手なこともあるけども、「家事も育児も趣味も、それからいろんなものの垣根を超えて」ってキャッチフレーズにして。エネルギーをうまく循環させていって。
自分のことだけに集中するよりも、やっぱりちょっと外に向けて何かをしたほうが元気になるんですよね。誰かの笑顔を見れば、エネルギーがとどまらずにうまく循環していくんです。
知らない、苦手だからこそ好奇心を持って、どんな町だろう、どんなものだろうって歩き回ればいいと思います。

私も初めの子育ての時には、育児サークルとかどうなの?って思ってたけど、でもまあ、出ていこうか、みたいなね(笑)情報集めに。
仕事だけの何かだけじゃなくて、もっと幅広い、なんか違う新しい働き方とか生き方っていうのができないかなっていうのが私の根本にあるんですよね。
安心感、安定感は大事だからどこかきちっと安定はしていて。でもちょっと違うやり方をと。無駄なエネルギーは使わないように、ほかに使いたいことがいっぱいあるので(笑)

■猿渡
やりたいことがたくさんあるんですよね。

□釘宮
遊びたいから(笑)
もともと何か、まあ結婚とか縛られるのも嫌なので、多分向かないだろうと思っていたので、なので自由に。
ただ当時、本当にきっちり働かないと預ける先が……今でもそうでしょうけどね。
それだったらボランティアと仕事の中間みたいな新しい動きをつくりたいなっていうのがあったんですよね。その中間ぐらいでフリースペースKとかいろいろやっているという(笑)

■猿渡
でも30年以上続けて活動しているってすごいです、本当に。

□釘宮
もの好きだから(笑)
みんな大体1年から3年で飽きてくると思うんです。
だけどつながりができるじゃないですか。信用とか。それができてくると、もともと三日坊主で続かないんだけれども、なんとなく。
それが自分の修行になるのよね。自分も鍛えられて、もともと三日坊主なので、多少劣等感持ってたけども、子供がいるとついでに動いちゃうじゃないですか。
だからそれでやれてきたのと、子育てサークルとかいう形ではなくて、「妻でもなく、母でもなく、個人として」というのがポイントかな。もともとのキャッチフレーズが「子育て真っ最中でも自分の可能性を追求しよう」っていう女性ばっかりが集まって。
あ、でもばっかりじゃないかな。いろんな人がいて、20人ぐらいが集まってなんかやりたいねということでスタートしたのが「グループこの指とまれ」です。

興味や成長に合わせて様々な活動をしてきた。

■猿渡
「この指とまれ」が「フリースペースK」の前身というわけですね。

□釘宮:そうですね。始めたのは1986年の9月かな、うちの自宅を開放して動き始めました。
とりあえず「グループこの指とまれ」と名前を決めて、同時にミニコミ誌「この指とまれ」を発行し始めて。

■猿渡
「この指とまれ」はもう360何号ですよね。

□釘宮
ですね。毎月出してね。
もともとミニコミじゃなくて欠席した人用にこういうことやりましたよって回覧していたけど、半年ぐらいたったときにじゃあミニコミ誌みたいにしない?となって。
時代が多少は変わっても形として残るものは残るし、原始的なやり方で。創刊からずっと手つくりで。
ささやかで、そんなたくさん出してないけども、交流館に1部ずつは置かせてもらってたりして、割りと交流館の館長さんの知り合いの何人かは「私ファンです」とか言って「楽しみです」って言ってくれるので、これはできる間は続けたいね。

■猿渡
手製のミニコミ誌、ぜひ続けてほしいです。私も書くのも読むのも楽しみのひとつなので。
……話戻りますが、グループを立ち上げた当初はどんな感じでしたか?

□釘宮
最初はいろんな人がいるから一つにまとめられなくて。
なので私は人が集まってそこで何かつないでいくような、もともとやっぱりコーディネーターみたいな、自分がこれをやりたいっていうものはなかったので、何かちょっと面白いことやりたいなという感じ。
平成元年くらいに仕事部門ってつくって「ユービJOB」っていうのもやって。

■猿渡
仕事部門もつくってたんですね。

□釘宮
活動に参加していたうちの10人ぐらいではじめて、1万円ずつ出資して3000円近くで名刺をつくったっていう。今では考えられない(笑)

■猿渡
名刺まで!

□釘宮
名刺を持ちたいっていう意見があって。今は笑い話だけれどね。
ほかには、NTTと組んで出前コンサートを10年間で110回やったりとか、ケータリングをやったりとか、フリーマーケット……じゃなくてリサイクルショップも持ったりとか、いろいろやりましたね。
ただ一つにまとめるのが難しいわけ。みんなばらばらだし。
それから1994年、95年のときから自主保育の「ちびっこランド」と学ぶ場提供の「すくーるNOW」をスタート。そこであつかった「らくだメソッド」っていうのは誰でも学べるので、それをきっかけに大人も不登校の子たちも学びに来たり、こういう場所を持つと相談も増えてたりして。
長くやってると情報を求めてとかいろんなことがあって、気がつけば今みたいな感じですよね(笑)

■猿渡
子育てサークルとか子供を育てるママだけの支援っていう形だと多分続かなかったけれど、そうじゃなくて興味に合わせて変化させてきたから続いているという感じですね。

□釘宮
自分の年を重ねるとともに興味も変わるし、自分の成長もあるし、やっぱりそういったことかな。
いろんなものをつくり出したいっていうものがあったから続いてきたんだろうなと思いますね。
もともとの出発点が子育て真っ最中のお母さんだったから、その応援はずっとしていきたいという思いがあって、「ちびっこランド」は続けていますね。

■猿渡
ありがとうございます。えっと、今の、この場所に引っ越したのが20年ほど前……?

□釘宮
はい、ここは1997年に借りたんですね。私の名義で借りてて、フリースペースKって名前をつけたのが2000年かな。
本当は一軒家ぐらい借りられるともっと面白いことがやれるとは思うんだけども、無理しないってことにしてるの。
あと、そのころにNPO法人にするかしないかの話がでたけど、みんな反対。分かんないし、みたいな(笑)みんなピアノなどの音楽関係、お菓子や手芸関係の先生とかで、NPOという活動に関心のある人は意外といない。
それなら無理にしなくていいかなって思って。今の形に。
20年近く前は、これを始めたころはいずれ世代を超えた交流ができるといいねって言って、いつの間にか3世代交流にまで(笑)
いつの間にか年を重ねてしまったけど、そしたらまた定年された方が今結構来られて、男性も来るし、女性もね。それから一人暮らしの人も来るし。なので面白いよね、いろいろ。

ゆるく場を提供し、安定感のある存在でありたい。

■猿渡
フリースペースKはどんな存在でありたいですか?

□釘宮
人って「つながりたいけど縛られたくない」っていう願望ってあると思うんだけど、ちょっと関心は持ってるぐらいの。
だからもともと「この指とまれ」は……これは私の性格もあるんだけども、来る者はこばまず去る者は追わずっていうのは、もうはじめからかな。
それから活動も未完成。1つには絞れないし、出入り自由。私自身がやっぱり縛られたくないタイプなんで。
組織化もしない。ゆるく、まあ2人いれば組織になるからそれなりにはやってるけれども、カチカチにしない。決めてしまうと本末転倒してしまう。組織を運営することに注力しちゃうとちょっと違うよねというのと、私がわがままというのもあるので。
ただ、人が孤立しない仕組みをつくりたいと思ってます。相談もいっぱいくるけれども、私から「それからどうなった?」って聞くことはしない。でも、知ってくれてる人がいて、行く場所があるっていうことだけでも心強いですよね。安心の場ぐらいの。だから何年に1回来る人とかね。それでもいいよっていう、それぐらいの感じのゆるさを持って運営しています。

一生をかけて「伝える」仕事をしていく。

■猿渡
これからフリースペースKでやっていきたいことはありますか?

□釘宮
今やりたいことは、今年「すくーるNOW」を終え、「学び舎ふむふむ」を始めたんですが……これは10歳から100歳まで、本当は小さい子からでも学べる場というふうにしていきたいなと。
とにかく今過渡期で、新しい時代に向けて新しい社会をつくっていく時代だから、いろいろと混沌としていますよね。
だからこそしっかりみんなが考えてそして行動できる。いろんなことがあるときに乗り越えていけるような、そういう力をつける学びの場をつくる。
私はそれを死ぬまでやれるといいかなと思っていて、そこは力を入れていきたいかなって。

□釘宮
あんまり「頑張るぞ!」って言うと伝わらないのでゆるっとしながら。
大人も、退職した人も、主婦も来る。子供も不登校の子も来る。
そういう場をつくって、みんなが一緒に考えられるっていうことはすごく大事なことじゃないかなと。流されてしまわないようにね。
インターネットだとフェイクニュースとかいろいろあるじゃないですか。そういうときにちゃんと自分で考えられるような人間が必要かなと思うし、これからの子どもたちが幸せをちゃんと感じられる世界を残してあげる、その根源的なことをやってあげられるといいなって思うよね。子どもたちがちゃんと育っていってくれるとうれしいなと思うので。
だからそこに向けてはやっぱり学んでいくことと考えることをやっていきたい。やることはいろいろ多様であってもいいと思う。
いろんな人がばらばらで、それぞれがそれぞれを生きていくっていう。考えることを本当に小さいときからする。
だから親子で参加する「おやこふむふむ」もやれるといいなと。お母さんも子供を産んで命をつないでいく役割があって、仕事に就くとかお金を稼ぐのは二の次であって、もっと大事なことがあることを伝えたいっていうことは、死ぬまでやれることかなと思っているので。

■猿渡
子どもから大人までが学ぶ場、考える場づくりですね。

□釘宮
やり始めて1年たったら、たぶん私自身もちょっとは深まっていると思うので、そういったことを伝えやすくなるかと。よく生きるってどういうことだろうみたいなね。
なんかそんなことをちょっと、根拠はないけど無手勝流で伝えられたらなと(笑)
いろんなタイプの人たちと出会ってそこで考えて、じゃあどうすればいいかっていうのをやっていきたいですね。
……多分こういう学びの場、学んだり遊んだりという場を死ぬまでやっていくかなっていうイメージです。
だから大きく何かをやるっていうわけではないけれど、誰でもが学び、考える場を提供し続けたい、そしてガチガチではない淡いつながり、弱いつながりを大事にして、孤立しない仕組みをつくっていきたいですね。

取材・写真・文:猿渡 菜都美